支援者のひとりごと

障害者福祉・高齢者福祉にたずさわり感じたこと思うままに

福祉サービスをとことん使ってほしい

Aくんは重度の身体障害児。

私は4歳のAくんとヘルパーと利用者さんという間柄だ。
毎日健常児と一緒の保育園に通う。
市には障害児通所の未就学児施設はあるが、家から遠いことと、仕事をしているお母様は、家から近くの保育園に決めた。
Aくんが通う保育園は障害児を受け入れることが初めてで、困惑しながらもAくんを受け入れた。

お母様はAくんの身辺のことを細かく記載したしおりを作り保育園側に理解を求めた。
保育園側と親御さん、妥協点をみつけながら時に、市のワーカーが間に入り話し合いを重ね先生達は一生懸命Aくんの障害に対応してくれた。

お友だちは、Aくんが障害ゆえにできないことをバカにすることはなく、お手伝いしているという様子だった。
子どもたちのルールがあるのか、変な言い方だが、特に女の子は自分たちより小さい子どもに接してるような感じだった。
お母様は自分の息子がいじめにあうことなく、保育園に通えて安心していた。

私にもし障害児の子供がいたら、どうしているかと考えることがある。
障害に特化した専門職員のいる施設に通わせるか、健常児とおなじ普通の施設に通わせるか。
どちらが正しいとか、悪いとかはないのだろけど、どちらにもメリットデメリットがある。
どちらが我が子にとって良い環境なのかすごく迷うと思う。お母様とお父様は悩みに悩んで決断をし今に至るわけだが、とても難しい判断だったと思う。
Aくんは、3歳までは特に問題もなく保育園に通うことができた。

しかし、1つ学年が進級した頃Aくんが体調を崩し始めた。
4歳を迎える園児達は動き走り回り元気だ。Aくんは重度の身体障害児で動くことはできない。Aくんも成長はしているが、周りの子供と比べると発達が遅れている。
お昼寝の時間はなくなり、3歳までとはクラスの環境が違いすぎる。
Aくんは、体がついていかなかった。

両親は進級しない方がよかったのかと悩み始めた。

そんな時、医療型の重心障害児の入所への話が舞い込んできた。
以前から、入所に空きがでたら入所への希望を出していたが4歳のこの時点で入所の話がくると思っていなかった。
両親はまたも悩んだ。
この機会を逃したら、当分入所の話はこないのではないか。
だが、4歳という幼い我が子を施設に預けるのは親として失格なのではないかと悩んでいた。

Aくんの両親、Aくんには頼れる親族がいない。親族とは絶縁状態でAくんの障害も受け入れられないと言い放れていた。
保育園の先、重い障害の我が子をどうやって育てていけばいいのか。将来のことを考えると不安しかないとよくお母様は話していた。
子どもを育てることに不安のない家庭なんてないと思うが、親亡き後のことを考える親御さんは沢山いる。
私達が死ぬまでに少しでも自立した生活を送れるようにさせたい。私達が死んだとき、我が子を誰が見守るのだろう。
将来のことを考えたら不安は重なる一方だが、 Aくんの親御さんは入所への話をチャレンジと捉えAくんの自立訓練に期待をし、入所した。

この文章を読み4歳の子どもを施設に入所させるのか…と複雑な気持ちになった方もいるかもしれない。
私は正直モヤモヤした。
それはお母様にも本人にも伝えたが、ヘルパーとして力量不足だったのかな?と不安に思った。もっと私達職員がお手伝いできることはないか…。目先の悲しさしか私は考えていなかった。
でも、親御さんはAくんが少しでも自立できるように将来のことを考えて入所を決めた。
保育園での健常児との限界の壁を感じ始めた。親だけの力では、我が子の可能性を引き出すのは限界なのかと感じていた。
親御さんも寂しい。

私達ヘルパーが自宅で行えるサービスにはやはり限界がある。自立訓練がサービスの目的ではない。あくまでもAくんがスムーズに日常生活するためのお手伝いである。

お母様やお父様の負担を減らすために、私達はサービスに入らせてもらうのだ。

人生には分岐点がたくさんある。
本人とって必要なサービスは何か。あってるのか。良い環境なのか。不安と葛藤している。

サービスを使えるものなら私はとことん使ってほしいと思う。
サービスを使うことで、親御さんの負担や本人にとってプラスになるなら、使ってほしい。
近所の目など気になるかもしれないが、なにも後ろめたいことはない。

私達支援者は、ほんの一瞬でも、お手伝いができたら本望なのだ。